学生の頃の一番の得意科目は英語でした。自分で言うのもなんですが、学年では常に上位の成績を収めていたんですよ。どうでしょう、基本90点台で、調子が悪い時に80点台といった感じです。大学受験の際にも英語の得点のおかげで合格することができましたし、英語が無ければきっと志望校に合格することはできなかったでしょうね。とまあ、こんな感じで、英語には相当な自信を持っていた私ですが・・。実は私の英語力というのは、決して”使える”レベルのものではなかったのです。それをまざまざと実感するのが、洋画を視聴しているときです。これだけ英語の成績がいいのだから、洋画を字幕で理解できると思っていましたが・・。からっきし理解することができません。ネイティブの方が話す英語は非常に滑らかで、なおかつスピーディなため、まったくついていくことができないのです。とはいえ、文章自体は理解できるんですよ。ほら、DVDって字幕機能で英語を表示することができるでしょ。あれで、今なんて言ったのかを見てみると・・。驚くほど簡単な文章だったりするんです。この経験を通じて思ったのは、英会話を習得するうえで最も重要なのは発音だ、ということです。私がそれまで習ってきた英語というのは、大学受験のための英語であって、前述したように”使える”レベルの英語ではなかったのです。大学受験のための英語とは、具体的には、そんなのどこで使うの?というような、あまりに専門的な単語であったり、日常会話では使わないであろう、まどろっこしい表現のことです。大学受験では、志望者を絞り込むために、こういった難解な問題を出す傾向にあり、真に”使える”英語を身に着けさせようという目的は、正直言って皆無です。いやもちろん、受験者本人が、そのつもりで勉強に励めばそれなりに結果は得られると思いますが・・。受験勉強って、他にもたくさんやらなければならない事がありますからね。そんなこと言ってたら、一向に受験勉強ははかどりません。結局、効率化を重視した、質の悪い学習が定着してしまうのです。なので、個人的には、今後日本の英語教育の現場では、”使える”英語に特化した学習をしてもらいたいですね。じゃないと、いつまで経っても日本人の英語下手は治らないような気がします。ちなみに、私は”使える”英語をマスターするために、英会話教室に通っているところです。そこでは、ネイティブの方による指導がなされるので、自然と本場の英語が身につくんですよね。まだまだ、たどたどしい発音だけど、向上心を持って取り組んでいるところです!